北九州市と角打ち ~鉄の街が育んだ角打ち文化~
1901年(明治34年)。官営八幡製鐵所の第一高炉に火が入り、軍備増強、近代産業の育成といった国の大事業を支えた、いわゆる鉄の男たちは8時間3交代制(創業当時は12時間2交代制)で、常に緊張感が要求される過酷な労働環境の中で働いた。そんな彼らに寄り添ったのが、量り売りのコップ酒を立ち飲みできる酒屋。そう、「角打ち」と呼ばれる場所だ。
仕事を終えて、高ぶった気持ちを一杯のコップ酒で鎮め、二杯目、三杯目と杯を進めていく中で明日への英気を養い、自分自身を奮い立たせていたのかもしれない。今はもう店を畳んでしまった酒屋の店主は、「昔はねえ、朝早くから店の土間いっぱいに、客が並んで立って飲んでてねぇ。ものすごい量の酒を仕入れても、すぐに売り切ってたよ」と、往時を偲び懐かしそうに語ってくれた。今より娯楽が少ない時代だ。酒屋で酒を飲むことは、彼らのささやかな幸せであり、楽しみだったことだろう。それゆえに「角打ち」が、鉄の街とその労働者たちを支えたと言っても過言ではない。
時は流れて、令和の今。「角打ち」は男性だけのものではない。女性が一人で立ち寄り、コップ酒をぐいっと飲み干す姿も珍しくない。とはいえ、「気になるけど入りづらくて……」という声も時折り耳にする。そんな人にこそ、北九州の角打ち文化に触れてほしい。今回紹介する角打ち店は、どこも個性と温かみに満ちている。義理人情にあふれたおとうさん・おかあさん、そして気さくな常連客。職場と家との往復だけでは出会えない人たちとの、かけがえのないひとときが待っている。
昭和の空気をそのまま残す空間は、まるで時間が巻き戻ったかのような感覚になる。「角打ち」は、酒を飲むだけの場所ではない。人と出会い、街を知り、自分の新しい居場所が見つかる場所だ。
角打ちという文化は、あなたにきっと北九州という街の懐の深さをも教えてくれるだろう。
(文:常軒 貴美子)
