角打ちについて

□□□ 角打ちとは □□□


 

■辞書にはどう書かれているか

 1989年版の「日本国語大辞典」(小学館)には、「酒を升にはいったまま飲むこと」。方言として、「升で酒を飲むこと(福岡県)、酒屋の店頭で酒を飲むこと(佐賀県)、金銭を出し集めて宴をすること(大分県)」と掲載されている。
 2018年1月に発刊された「広辞苑七版」には、「酒を枡(ます)で飲むこと。また、酒屋で買った酒をその店内で飲むこと」とある。その他の辞典も「升で酒を飲むこと」と「酒屋の店頭で酒を飲むこと」とを併記しているが、実は、この2つは同義である。というのは、升は酒器ではなく計量器であり、酒を量り売りするために酒屋などで使うものだったからである。それ以外の場所であの飲みにくい升で酒を飲むことは考え難い。量り売りをした枡でそのまま飲んだのが角打ちである。つまり、角打ちとは、「酒屋で買った酒をその場で飲むこと」と言うだけでよいのである。
 また、読み方は、カクウチである。「かどうち」と言うのは「角打ち」と漢字で書いたものの読み間違いである。筑豊や豊前などでは「カクチ」とも言っている。豊前の角打ち店に「カクチ」と張り紙をしていたのを見たことがある。また、炭鉱記録画家の山本作兵衛さんの日記に「カクチ」と書かれていると聞いた。


■立ち飲みと角打ち

 よく飲食業の立ち飲みと混同されることがあるが、座って飲もうが立って飲もうが<酒屋の店頭で飲む>のが角打ちである。酒税を払わない飲食業の「立ち飲み」とは違うのだが、「角打ち」というインパクトのある言葉を使いたくて「角打ち」とか「角打ち風」「角打ちスタイル」などという言葉を使っている飲食業(立ち飲み、大衆酒場、居酒屋)が増えてきている。そして、、そのあたりの事情を汲んだ辞書も登場してきている。三省堂「大辞林」には、「酒屋で立ち飲みすること。また、立ち飲み屋のこと。」とある。時代が変われば言葉の意味も変わっていくのは当然だが、本義は本義として押さえておいたほうがいいかもしれない。


 

■「角打ち」という言葉は江戸時代からあったのか?

 江戸時代の風俗画には、升酒屋や板看板酒屋で床几などに座って飲んでいる様子が描かれている。酒屋で飲むことを「升酒」とか「居酒」とか言っていたことが、風俗画や俳諧などいろな文献に残っている。江戸時代の庶民は「角打ち」をしていたということである。ただし、「角打ち」ということばは、今のところどの文献にもない。つまり、「角打ち」という言葉が江戸にあった確率は極めて低い。


■酒屋の店頭で飲むことをどう言うか

 酒屋の店頭で飲むことを角打ちと言わない地方もある。関西では「立呑み」、東北では「もっきり」、その他、「たちきゅう」、「ではい」、「てっぱつ」という地方もあるようである。
 現在では、一般的には、「立ち飲み」、「コップ酒(飲み)」である。
 ちょっと脱線するが、「升酒」と「コップ酒」は、同義である。「コップ酒」の「コップ」はもともと量り売りをするための「検定コップ」なのである。尺貫法の時代の枡がメートル法になってコップになっただけのことである。


■角打ちの発祥は北九州市か?

 北部九州、特に北九州市では、「角打ち」はずっと「標準語」と思われてた。それほど普通に使われてきた言葉である。東京などでも「角打ち」という言葉が使われることが一部にはあったが、これは九州から移住した人や単身赴任などで九州にいたことがある人から、あるいは、マスコミなどの影響で広がったと考えられる。
 「角打ち」が九州北部の方言であったことは、「日本方言大辞典」に福岡県、佐賀県、熊本県、大分県の方言として掲載されていることであり、1902年(明治35年)に発行された「佐賀縣方言辭典」にも「かくうち」「かくまはし」がタチザケの意味の方言として載っていることでも分かる。
 東京に「角打ち」という言葉があったとしたら江戸時代の風俗画や日記などに残っているはずである。また、いろいろなライターが書いた立ち飲みに関する本を見ても東京の古い酒屋の店主に聞いても「角打ち」という言葉が昔から東京にあったとは思えない。
 一方、「酒屋飲み=角打ち」の発祥を北九州の八幡製鉄所の労働者と結びつける人もいるが、これは間違いである。酒屋飲みの発祥は江戸以前であり、九州北部だけでなく全国どこにでもあったことはいくつもの文献で明らかである。また、「角打ち」という言葉の発祥が八幡製鉄の労働者とは関係ないことが、八幡製鉄創業の次の年(明治35年)に発刊された、「佐賀縣方言辭典」にすでに掲載されていることからはっきりしている。
 北九州市民としては大変残念なことであるが、北九州発祥説は成り立たない。


■なぜ「角打ち」というのか?

 今のところはっきり分かっていない。
 明治の終わりころを舞台にした火野葦平「花と龍」に、角打ちは「枡の角から、キュッと、冷酒を一息に飲むことである」とある。少なくとも葦平は、「角」は枡の角、「打つ」は、キュッと一息に飲むこと理解していたことが分かる。果たしてそうなのかどうかはこれだけでは分からない。
 また、「佐賀縣方言辭典」で書かれているように「かくうち」と「かくまはし」が同じであるとすれば、「かく」は枡である可能性が高い。柳田国男は、宴会などに列席できない奉公人や「下僕」と言われていた人たちが主人からお金をもらって酒屋で飲むのをカクウチと言ったと書いている。そういう人たちが酒屋で枡の回し飲みをしている光景が浮かぶのだが。


■「角打ち」に作法や流儀はあるのか?

 実も蓋もない言い方になるが、そんなものあるはずがない、いや、あってたまるかとも思う。  もともと、「角打ち」に限らず、居酒屋の暖簾をくぐるなどということは、ちゃんとした大人のすることではなく、そういうことをする人は蔑まれていたことが江戸時代の風俗画や俳諧を見るとよく分かる。頬かぶりをして顔を隠してこそっと店に入っている。
 「名月や居酒のまんと頬かぶり」 宝井其角 (元禄3年)
 柳田国男も日本人が独酌を当たり前にするようになったのは近年のことだと書いている。古来、日本人はいろいろな宴会などでお酌をしたりされたり、あるいは、盃を回し飲みをしてみんなで酒を飲んできたというのである。そこには、いろいろな作法や流儀があったことであろう。
 しかし、そういう宴会などに参加できない人たちがしていたのが「角打ち」である。そこでは作法や流儀は必要なかっただろうし、そんなことに囚われないで飲んだに違いない。
 角打ちにもっともらしい作法や流儀を振りかざす向きもあるが、根拠のないこじつけの域を超えてないように思える。
 ルールがあるとしたらそれぞれの酒屋で店主や常連客が暗黙の裡に持っている「お互いに困ることはしないでおこう」というものであろう。酔っ払いをどう扱うか、どこまで許すかもその店やお客がその都度決めればいいことだ。たまにしか行かない客が作法や流儀などをあげつらってもどうかなと思うのである。角打ちは大衆の酒の飲み方であることは肝に銘じておきたい。


(以上、文責須藤)

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□□□ 角打ちのススメ □□□

 酒の飲み方はいろいろある。懐具合や気分、時宜などによって安酒屋から高級料亭まで様々な場所や酒類を選んで飲むことができる。その中でなぜ敢えて「角打ち」なのか。「酒屋で飲むこたぁなかろ〜もん。なしか!」

酒屋は酒を売るのが商売であるから、酒を買ってくれる人はお客である。しかし、そこで立ち飲みし始めた人はお客ではないはずだ。飲んでいる人にサービスをする必要はないし、サービスすれば違法である。

 「角打ち」に飲食業者のサービスを求めてはいけない。そういうサービスが必要なら「飲み屋」で飲もう。笑顔も愛想もいっぱいあるし、食べ物だっておいしいものがたくさんある。飲み屋でしてもらえるサービスがなくても飲むのが「角打ち」である。いや、それがないのがよくて飲むのが「角打ち」かもしれない。

 「角打ち」は、正規のルートで入ってきた酒を安価に飲める。500円玉があれば、日本酒200ml(250円前後)とつまみでおつりがくる。これは、酒屋で飲むのだから当然と言えば当然である。

 「角打ち」には、飲み方の自由さがある。仕事帰りに気の合った仲間と一緒に来て軽く一杯やるのも、ひとり来て店主や常連客と軽口を叩きながら飲むのもいい。カウンターの隅でひとり黙って飲むのがいい時もある。冬の寒い時、乗り物待ちの3分間で身体を暖めることもできるし、乗り遅れた時間を分単位で調整するにもいい。また、本格的に飲みに行く前のウォーミングアップにもなる。
カウンターの前に立ち、飲んで、勘定して出て行くまで10秒とかからなかった角打ちを目撃したこともある。

 「角打ち」をやっている酒屋の中には、昭和の雰囲気をたっぷり残しているところがある。高い天井に残る剥き出しの電気配線や碍子、レンガを敷き詰めた土間、分厚い一枚板のカウンター、大きな柱にかかっている振り子の古時計、量り売りに使われていた陶器の4斗樽や升・・・
そんな雰囲気の中で、話し好きの店主にその店やその地域の歴史などよもやま話を聞きながら飲む酒は格別である。

 角打ちは、庶民の文化である。角打ち屋の敷居が高く感じられたとしたら、それは、私たちが庶民のこころを忘れてしまったからだと言っては言い過ぎであろうか。

(以上、文責須藤)

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□□□ 角打ちの流儀 □□□

広告紙を使って手織りした皿。よく見ると2重になっている。外側は再利用可能?

 角打ちの流儀は、角打ちをする人の数だけある。「角打ちは〜べきである」というのはその人個人の流儀であってすべてではない。「角打ちはひとりで行くものである」、「角打ち店では他の客に話しかけてはいけない」、「角打ちは10分以内にとどめるべきである」、「角打ちは日本酒ですべきだ」・・・・それぞれ結構なことである。それぞれが、自分が「粋」だと思う飲み方で飲めばいい。そんなことすら考えないで飲んだっていいはずである。

 角打ちの流儀は、角打ちをする側だけでなく、角打ち店やそこに集まってきている人たちの側にもある。自分の側の流儀だけを振りかざして角打ちをしてもまずいのである。自分の流儀と同じ流儀の角打ちができる店を探して角打ちをするのも、自分の流儀とは違う流儀の角打ちがされている店で「異文化角打ち」を楽しむのもいい。

 また、旨い酒を飲むとき、楽しい酒を飲むとき、哀しい酒を飲むとき、それぞれに違った流儀があってもいいではないか。

(以上、文責須藤)

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